園長便り

 希望はすぐ隣に

園長:村沢秀和

 

最近、ある詩を読んで深く考えさせられました。それは子どもたちが大好きなアニメアンパンマンの作者であった、やなせたかしさんが書いた詩です。

 

絶望の隣に誰かがそっと腰かけた。

絶望は隣の人に聞いた。

「あなたは一体誰ですか」

隣の人は微笑んだ。

「私の名前は希望です」

この詩を初めて読んだ時、予想外の結末にどきっとさせられました。絶望に陥る時、何もかもが真っ暗で、望みなど、もうないと思えることでしょう。そんな絶望の横に誰かが腰かける。それは慰めだろうか、励ましだろうか、それともあきらめなのだろうか。絶望のために目がくもり、それが誰なのかよくわからない。だから「あなたは一体だれですか」と尋ねるのです。すると、絶望の横に座った人はにっこり微笑み答えるのです。「私の名前は希望です」と。あり得ない人が横に座ったのです。希望などない、それが絶望です。しかし、その絶望の横に希望がそっとやってきて、にっこりほほ笑むのです。

希望とは、そこが絶望的な状況だからこそ生まれてくるものです。今が最高に幸で明るい未来に輝いているなら、希望など必要ありません。希望が必要なのは絶望のときです。絶望だからこそ、希望が必要であり、絶望だからこそ、希望が生まれるのです。希望がすぐそばでにっこり微笑んでいることに気が付くことは簡単なことではないでしょう。しかし、希望などないと思えるような状況の中でも、必ず希望の光は輝いているのです。絶望のとなりに希望が腰かけ、微笑んでいるのです。

世界のベストセラーである聖書には、希望という言葉がたくさん出てきます。その一つをご紹介しましょう。

「確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない」

箴言23:18

 わたしたちにはどんな未来が待っているのでしょうか。皆さんは自分の未来を思い描くことができるでしょうか。実は人間は明日のことすら、誰もわからないのです。それなのに聖書は、確かに未来はあると約束しているのです。しかも、その未来は絶たれることのない希望に輝いているというのです。この約束された未来を、希望に満ちた未来を信じていくところに、信仰の世界があるのです。