園長便り

子は親を映す鏡

園長:村沢秀和

「子は親を映す鏡」ということわざがあります。子どものふるまいを見れば、その親が、どんな親であるかを知ることができるというわけです。毎日一緒に生活し、血もつながっていれば、当然と思うようなことわざです。実際には、必ずしもそうではないことも少なくないのですが、しかし同時に、我が子のふるまいを見て、自らの行動を反省したことがある方も多いのではないでしょうか。子育ては、後戻りできません。後から後悔しないためにも、いま親として恥ずかしくない、あるべき姿で子どもに接していきたいものです。

安田龍門という画家が、東京芸大の卒業制作に取りかかったとき、家が貧乏でモデルを雇うお金がありませんでした。このままではよい卒業制作が出来ないと意気消沈していた時に、母親が、「せがれや、モデルというのはべっぴんじゃなきゃいけないのかい。このおばあをモデルに画いてみんさい」と言ったのです。この母の一言で目が覚め、母をモデルに不眠不休で絵を描き、「母の像」という作品が出来上がりました。この作品は、東京芸大に今でも宝として残される作品となっているそうです。やがて安田龍門は才能が認められ、フランスに留学します。ところが、フランスで母の死の知らせを聞くのです。そのとき、彼が書いた短い詩があります。それはこんな詩です。

「母上よ、私はあなたの墓標になりたい。私をあなたの墓標にして下さい」

墓標というのは、その人がかつて生きていたことを偲ぶ記念碑です。その墓標の前に立つ時に、その人のことを思い起こすことができるようにと立てます。「母上よ、私をあなたの墓標にして下さい」という言葉には、私を見れば、あるいは私の生きる姿勢を見れば、そこに母が生きていることを思い起こす、そのようなものになりたいと彼の願いが込められています。安田龍門がいかに母親を愛し、尊敬していたのかが伝わってきます。「子は親を映す鏡」とは言うものの、安田龍門は、もっと母親を映す者となりたいと願ったのです。

親に似ていることを恥ずかしく思ったり、それを快く思わなかったりする人も多いことでしょう。だから、親の墓標となりたい、親を映す鏡となりたいと子から願われるような、そんな親になれたらどれほど素晴らしいことだろうと思います。子どもの前で良い親を演じたり、つくろったりしても仕方がありません。ただ、1日、1日与えられた命を精一杯、真剣に生きることが、大切なのではないかと思います。