園長便り

湯たんぽ

園長:村沢秀和

サインズという月刊誌に「湯たんぽ」という題の投稿記事がありました。ほんのりと、あたたかさが伝わってくる記事ですので、ご紹介しましょう。

「冷えた足元をそろそろと伸ばすと、温かいものに触れ、気持ちがとても落ち着いたのを覚えている。小学生のころ、冬の間はほぼ毎晩、布団に入ると足元には湯たんぽが置かれていた。その日、どんなに母とケンカをしても、湯たんぽはそこにあって、温めてくれた。毎晩、布団に入る時間に合わせて湯たんぽを用意するのは、決して簡単なことではない。今、子どもたちに湯たんぽをつくりながら、思うことがある。ここに詰まっていたものは熱いお湯だけではなかったんだな。だから、あんなに心地よかったんだなって。」

子どものころ、母親に毎日湯たんぽを用意してもらっていた彼女は、いま自分が親になって同じように自分の子どもに湯たんぽを用意しています。毎日湯たんぽの準備をするのは簡単なことではありません。自分のためだったら、今日は止めようかなと思うこともあることでしょう。でも、子どものためだ思うと、無理をしてでも準備します。それが母親というものですよね。

そして、彼女はふと、自分の母親のことを思い出します。そして、母親の暖かな愛を思い出すのでした。

子どもへの愛情というのは、日常生活のほんの小さなことの中にも注がれていくものです。子どもは親の愛情に気づかず、当たり前のように過ごしているかもしれません。でも、そのときわからなくても、後からわかってくるものです。特に、自分が親になったときにわかることが多いです。そして、気がついてみれば、自分も子どもに同じことをしています。大切なことというのは、親から子へと伝わっていくものです。言い換えるなら、愛は親から子へ、さらにその子へと受け継がれていくのです。わたしたちはどんな愛を親から受け継ぎ、わが子へと注いでいるでしょうか。

しかし、自分は親から愛情を注いでもらえなかったという人もあるかもしれません。だから子どもへの愛も不足しているのではないかと心配している人があるかもしれません。でも大丈夫です。神様があなたを親以上に愛して下さっているからです。聖書の言葉を贈りましょう。

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない」

イザヤ49:5