園長便り

人の心を変える力

園長:村沢秀和

  人間の心というのは、簡単に変えられるものではありません。特に恨みや憎しみの心は根深いものです。しかし、そのような人の心を変える力があります。

2009年、1人の日本人の若い女性が、中国山東省の山奥にあるハンセン氏病の施設で、ハンセン氏病の方々のために奉仕していたときのことでした。そこに1人の中国人レポーターがやってきました。彼は、この見捨てられた人たちが中国人ではなく、日本の女性によって世話を受けていることに衝撃を受けました。実は、この中国人レポーターは、中国人の中で日本への反感で結ばれた巨大なインターネットフォーラムのリーダーでした。会員は10万人を超えていました。彼らの目的はただ1つ、日本人を呪うことでした。それは第二次世界大戦中に南京大虐殺を行なった日本人への憎しみからでした。しかし、彼は、1人の日本人女性の無我の奉仕を見て、反日本人インターネットフォーラムを永久に止める決心をしたのです。1人の日本人女性の愛が、1人の中国人の憎しみの心を変えてしまったのです。愛には人の心を変える力があるのです。憎しみさえ変えてしまう力があるのです。

もう1人、中国人の心を動かした1人の日本人を紹介しましょう。それは賀川豊彦という一人のクリスチャンでした。賀川豊彦が中国との架け橋となっていたことを知っている人はそう多くはありません。

日本が戦争に負けたあと、中国から大勢の日本人たちが命からがら日本に帰ってきました。日本人が中国の人たちにしたことを思えば、仕返しされても仕方がありませんでしたから、本当に命がけの帰還でした。しかし、そのような状況の中で蒋介石は「戦いはついに終わった。戦いは完全に我らの勝利に帰した。しかし暴力に報いるに暴力をもってしてはならない。中国全土にいる日本兵と日本人民全員を安全に送り返さねばならない。もしこれに反する者があれば、厳罰に処するであろう」と語りました。このような言葉の背景のひとつに賀川豊彦があったのではないかと言われているのです。蒋介石の妻は、次のようにラジオで語っていたそうです。「私は日本が憎い。暴虐をつくす日本軍を許すことができない。しかし私は日本国を滅ぼしてください、日本軍を全滅させてくださいと祈る事ができない。なぜなら日本には今なお中国国民のため、涙を流して祈っている賀川先生がおられるから・・・・・」と。賀川豊彦が涙を流しながら中国の人たちのことを祈っていたことが、蒋介石あるいはその妻の心を動かしたのです。それは敵対する二つの国の間にある、うめようもないほど深い隔たりをつなぐ、一本の架け橋となっていたのです。