園長便り

 謙遜の美しさ

園長:村沢秀和

先日、元野球選手の松井秀喜さんが、長島茂雄さんと共に国民栄誉賞を受賞しました。そのとき彼は次のように語りました。

「私は王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録を作れたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーをできたわけではありません。僕が誇れることは日米の素晴らしいチームでプレーし、素晴らしい指導者の方々、チームメイト、そして素晴らしいファンに恵まれたことです」

とても謙遜なコメントです。松井秀喜さんは日本でもアメリカでも、いつも礼儀正しく、謙遜で、多くの人に感銘を与えています。現役時代も、2006年5月に左手首を骨折し4ヶ月間試合に出られなくなったとき、新聞誌上で「試合に出られなくなり、ファンに本当に申し訳なく思っています」と公式の謝罪コメントを発表し、その礼儀正しさと謙虚さに多くのアメリカ人たちが感動したと言われています。自己主張が強いスポーツ界において、彼は常にチームのために献身的なプレーをしました。怪我の後、成績不振で戦力外となったときも、諦めることなく、もくもくと一人で練習を続けました。ヤンキースから他チームに移ったあと、古巣のヤンキースとの試合では、ヤンキースのファンたちからもたくさんの声援を受け、また試合後元チームメイトたちから囲まれていた姿は本当に印象的でした。彼が多くのファンやチームメイトから愛されたのは、野球の実力もさることながら、謙虚で誠実な彼の人柄でした。

ところで、彼が日本で活躍していた頃から愛読書が聖書であることを知っている人はそう多くはないようです。1999年3月、巨人軍時代に彼は、「第三回人権メッセージ展 たいせつな宝物」に「いじめられているみんなへ」と題して次のような記事を寄稿しました。

 

「神様はいつまでも君を見捨てはしないはずだ。今の苦しみに勇気を持って立ち向かおうじゃないか。自分がいじめられているという事を、親や先生や友達に言うのは嫌かもしれない。でも、頑張って相談すれば、必ず良い方向に行くと思う。一番勇気のないのは、自分の人生をまっとうしないことだ。神様は君がこの世で生きていけると判断したから君は今ここで生きているんだ。それでも勇気を持てないのなら僕に言ってくれ。手紙でもいいから僕に相談してほしい。何か君のためにできることがあれば、一緒に頑張るよ。 君のこれからの素晴らしい人生のために」

松井秀喜

 

このような文章は聖書の神様を知らなければ書けないようなものです。実は、彼はヤンキースの仲間たちとも一緒に聖書を学んでいたそうです。彼の礼儀正しい謙遜な姿勢は、聖書の言葉が影響を与えていたのかもしれませんね。