園長便り

 何が見えますか?

園長:村沢秀和

あるテレビ番組で非常に興味深いドキュメンタリーを見ました。それは3歳のときに失明し40年以上にわたって目が見えなかった男性が、角膜移植をするというものでした。果たして角膜移植をすることで本当に見えるようになるのだろうか。ずっと目の見えなかったこの男性にはいったいどんな光景が映るのだろうか。そしてそのとき、どれほど大きな感動が待っているのだろうか。そのようなことを期待しながら、事の成り行きを見守っていました。

角膜移植手術は無事成功しました。目に巻かれた包帯がほどかれていきます。ゆっくりと目を開けると、彼の目には再びおぼろげながらも目の前の景色が飛び込んできたのでした。それは40年ぶりに見る色や形でした。そして愛する家族の顔でした。

ところが、せっかく目が見えるようになったのに、そこから大変な苦労がおとずれるのです。それは目に映った物が何であるかがわからないのです。ちゃんと見えないのです。どうやら、目で見たものを判断するための神経が衰えてしまって、働かなくなってしまったのが原因のようでした。せっかく見えるようになったのに、彼は混乱し、とても疲れてしまうのでした。

見えるのに、それがわからない。この想像もしていなかった展開に、わたしは深く考えさせられてしまいました。見えているのにそれがわからないというのは、いったいどんな感じなのだろうか。想像もできません。しかし、そこでふと思ったのは、わたしたちは普段いろいろなものを見て、それを理解して生活していると思っていますが、しかし本当にすべてを理解しているのだろうか。その本質が正しく見えているのだろうかということでした。

たとえば子どもを見つめるとき、表面だけを見て笑った、泣いたとは理解できますが、何が笑顔をもたらせたのか、また何が悲しみをもたらせたのか、その心の奥底までもしっかり見つめているだろうかということです。すべてを見通すことなど人間にはできませんが、理解してあげたいという優しい目で見つめるとき、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれません。