園長便り

共に生きる

園長:村沢秀和

ある福祉施設に年老いて元気のないおばあさんがいました。彼女は誰かと話すこともなく、何かを要求したりもしません。彼女は、ただそこにいて、古ぼけたロッキングチェアに揺られているだけでした。そのおばあさんを尋ねる人は多くはありませんでしたが、2,3日おきに、彼女を心配している若い看護師が彼女の部屋を訪れました。しかし、彼女はおばあさんに何かを話しかけたり、質問したりはしません。彼女はただ、もう一つのロッキングチェアをひっぱり出してきて、おばあさんの隣で共に揺られているだけでした。そして、数か月後、そのおばあさんは初めて言葉を発したのです。「ありがとう、私と共に揺られてくれて…本当にありがとう」と。

韓国で働いている日本人の牧師さんが、奥様を亡くされました。末期の癌でした。日本に帰ろうと思ったこともあったそうですが、最後まで韓国にいて、韓国で息を引き取ったのでした。その牧師さんが先日、札幌に来られて、奥様の最後についてお話して下さいました。そのお話を聞いて、なぜ最後を韓国で迎えたのかがわかったような気がしました。それは共にいてくれる人がそこには大勢いたからです。一本の動画を牧師さんが見せてくれました。そして、この動画は奥さんが何度も何度も繰り返し見続けていたと言われました。その動画に映っていたのは、ある自転車大会の模様でした。大勢の人たちが自転車でゴールを目指しています。その中になんと牧師さんの奥さんがいたのです。末期の癌のために体は随分と痩せ衰えていましたが、一生懸命に自転車をこいでいるのです。そして、そんな彼女を大勢の韓国人の友人たちが、日本語で「がんばれ~ゆみこさん」と次々と声をかけながら一緒に自転車をこいでいるのです。先にいったり、後になったりしながら、その度に「がんばれ~がんばれ~」と声をかけているのです。これは彼女が亡くなる少し前に、韓国の友人たちと一緒に彼女が自転車大会に参加したときの動画だったのです。そこには彼女と共に生きてくれる友人たちが大勢いました。国は違うけれど、一緒になって最後まで支えてくれる人たちがいたのです。彼女はどんなにうれしかったことでしょう。どんなに励まされたことでしょう。どんなに暖かな気持ちにさせられたことでしょう。

孤独ほど寂しいことはありません。人は誰かのぬくもりを必要としています。共に生きる。その大切さを改めて感じさせられました。