園長便り

讃美の力

園長:村沢秀和

  三育幼稚園ではいつもたくさんの讃美歌を歌っています。讃美歌には、歌うものにとっても、聞くものにとっても、不思議な力があります。悲しいときには慰めが、不安なときには平安が、落ち込んでいるときには元気が、そして失望をしているときには新たな希望がわきあがってきます。

学生時代、大学を一年間休学し、学生宣教師として韓国で生活したことがありました。慣れない文化の違いや、日本から遠く離れての生活に、ふと寂しさを感じることがありました。そのようなときはいつも讃美歌を1人で口ずさみました。ギターを片手に讃美歌を歌っていくうちに、だんだんと寂しさが薄れていき、平安が訪れました。気がつくと、いつのまにか同じ学生宣教師の仲間がそばにやってきて、一緒に讃美歌を歌っています。共に声を合わせていくうちに、寂しさはすっかり消え去り、喜びが溢れてくるのでした。それは本当に不思議な経験でした。

聖書の中にも讃美歌の不思議なエピソードが出てきます。

「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、讃美を歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった」(使徒言行録16章25節)

 

パウロとシラスはピリピの町で伝道していましたが、無実の罪で獄中に捕らえられてしまいます。その獄中でパウロとシラスは神に祈り讃美歌を歌いました。すると同じ獄中の囚人たちも、いつもと違う光景に耳を澄まして聞きいっていました。なぜなら、いつもなら、こんなひどい目に合わせた相手を罵り、怒りの声が聞こえてくるのに、今まで聞いたことのない祈りと讃美歌を歌う歌声が聞こえてきたからです。

そして、この出来事で囚人たちに驚くべき変化が起こるのです。神様はパウロたちの祈りに答え、大地震を起こして監房の扉をみんな開いてくださったのですが、そのときだれひとり逃げ出す囚人はいなかったのです。またそれを見た獄吏までが驚いて神様を信じるものと変えられてしまったのです。讃美歌は歌うものだけでなく、聞く者の心をも変えてしまう力があるのです。

 

どんな試練の只中にあっても、讃美できる人は幸いです。自分だけでなく、周りの人も幸せにします。ところで、いまミュンヘン・クリスマスに向けて、保護者コーラス・ピスガーズが讃美歌を練習しています。メンバー募集中とのことです。皆さんも一緒に讃美歌を歌って、讃美の力を体験してみませんか?