園長便り2024-03

「オランダキジカクシ」

園長:中村貫太郎

桜は早々と散ってしまいましたが、道路わきの花壇にはたくさんの花が咲き始め、散歩が楽しい季節になりました。店頭でもこの時期に旬を迎えるアスパラガスがたくさん並ぶようになり、食材からも春を感じることができます。地物市場ではアスパラ専用の棚が増設され、開店と同時に争奪戦が繰り広げられていました。ラーメン屋でも「アスパラのクリーム白湯」といった季節限定メニューが出るなど、多くの人がこの季節の到来を心待ちにしていたかのようです。

冬の眠りから目覚めるように、力強い生命が息吹く春を感じさせてくれるアスパラガスですが、その歴史は古く、古代エジプト王朝の王達が高級食材として食していた様子が壁画などに残されています。また、ギリシャ・ローマ時代には栽培された記録が残されており、中世では痛風に効く薬草として重宝されていたようです。日本へは江戸時代にオランダ船から観賞用として入ってきました。キジが隠れるほど茎が生い茂ることから「オランダキジカクシ」という和名がついたそうです。食用として本格的に栽培されるようになったのは大正時代になってからでした。

その栽培を日本ではじめて成功させたのが、北海道岩内町の下田喜久三博士でした。当時の東京薬学校(後の東京薬科大学)を卒業したばかりの下田氏は、岩内町で家事に従事していましたが、1913年の冷害で大きな被害を受けた北海道の状況を悲しみ、冷害対策作物の試作研究を始めました。その結果、アスパラガスが極寒の北海道でも立派に栽培できる作物だということが判明し、欧米からアスパラガスの種子を取り寄せ、新品種「端洋(ずいよう)」を開発しました。そして1922年から本格的な栽培が始まったのだそうです。その歴史から、岩内町には「日本のアスパラガス発祥の地」の石碑が建っています。

下田博士の選択は、「自分の栄誉や利益のため」ではなく、「被害を受けた多くの道民のため」が基準になっていました。園訓に通ずる精神を垣間見ることができるのではないでしょうか。そしてそのおかげで、100年後に生きる私たちも恩恵を受けることができているのです。

(参照:JAグループ茨城「アモーレ」HP・岩内町観光ポータルサイト)