園長便り2022-05

 「ごめんね」と「いいよ」

園長:中村貫太郎

 

ここ数年で、危険なあおり運転の問題が大きく取り上げられるようになり、社会問題として多くの人に認知されるようになりました。法的には罰則が強化され、対策としてシミュレーターであおり運転を体験し、対応方法を学ぶ講習などがおこなわれています。しかし、あおり運転自体が無くなることはないでしょう。

大人同士の社会においてもトラブルが絶えないように、子ども同士の園生活の中でもトラブルはおこります。その時にお互いに自分の非を認めて「ごめんね」とあやまり「いいよ」と許している姿を見ると、たいしたものだと思います。しかし一方で、次のような姿も見ることがあります。

相手の状況はお構いなしで「ごめんね。ごめんね。ごめんね!ごめんねー!」と立て続けに言うものの、相手から許しを得ることができず、教師のところに来て「ごめんねって言ったのにゆるしてくれない!」と怒る姿。

これは「ごめんね」といえば「いいよ」と何でも許してもらえるという誤った理解が原因だと思われます。他にも「ごめんねって言ったからもういいの!」と「ごめんね」を言えば解決したと勘違いしている場合もあります。

いずれも相手の事が置き去りになっています。大事なのはお互いの気持ちを伝え合い、納得して和解するための落としどころを探すことです。「ごめんね」を、話し合いを早く切り上げるための手段にしてはいけません。

交通トラブルが起きた時に警察官はお互いの話を聞き、現場の状況から客観的にどのような事故であったかを記録します。そして処理が終わるとたいていの場合は「この後のことはお互いに話し合ってください」と言葉をかけるだけで、保険を使うか示談にするか方法を提示することはあっても、謝罪を強要することはありません。

同様に親や教師はあくまでも仲介役です。「ごめんね」と言わせることを強要するのではなく、何が原因だったのか、相手はどう思っているのか、どのような対応をすれば良かったのかを考えさせる役割です。

トラブルがおきた時は話し合いを通してお互いを知り、人と仲良く過ごすための方法を学ぶ機会としていただきたいと思います。「ごめんね」「いいよ」のやりとりは、あくまでも和解が成立した証として行われるべきで、この言葉を形式的に言わせることを目的としないよう心がけたいものです。