園長便り2022-04

「札幌最古のライラック」

園長:中村貫太郎

園庭のライラックが綺麗な花を咲かせました。花のいろどりと香を楽しむのが大人の楽しみ方ですが、園児たちはそれだけにとどまりません。散った花びらを集めて宝物にしたり、ご飯に見立ておままごとに取り入れたりしています。花は園庭あそびにも、いろどりと楽しみを与えてくれています。

さて、ライラックといえば、3年ぶりに「さっぽろライラックまつり」が開催(5月18~29日)されるとニュースになっていました。1960年に札幌市の木として選定され、札幌市民にはなじみの深いライラックですが、元々はアメリカからやって来たのだそうです。大通公園のホームページには次のように紹介されています。

 

 札幌のライラックは、北星学園の創設者であるサラ・クララ・スミス女史が、アメリカからもたらしたものがその起源であるといわれます。北大植物園にある最古のライラックも、スミス女史から分けていただいた株であるとされていますが、気候が適している札幌の町には、たちまち広まっていったものと考えられます。歌人の吉井勇は、1955年(昭和30年)に札幌を訪れ、「北遊小吟」5首を残していますが、その中の『家ごとに リラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし』は、札幌市民にはよく知られている歌でしょう。                    
大通公園ホームページより

 

スミス女史はキリスト教の宣教師で、約50年間日本での伝道に尽力しました。また、北海道における女子教育の先駆けとして大きな功績を残した教育者でもありました。その功績の一つでもあるスミス女学校を(北星学園の前身)開設のするときに、故郷のエルマイラ市から持ち帰り、植樹した苗が札幌最古のライラックだといわれています。

戦時中は敵国の木ということで女学校のライラックは全て伐採されてしまいましたが、北大植物園に株分けされた木だけは伐採されず残っていました。それから長い年月が過ぎますが、1994年に植物園から株分けされ、スミス女史が愛した北星学園に再び戻ったのだそうです。

また、吉井勇の短歌にでてくる「リラ」はライラックのフランスでの呼び名で、もしかするとこの呼び方も、フランス留学の経験があるスミス女史から生徒達が教わっていたのかもしれませんね。

札幌ではライラックが咲く5月に急に寒さが戻ることを「リラ冷え」と呼んでいます。これは北海道だけで使われている気象用語だそうで、そこからもライラックが札幌市民の日常に溶け込んでいることを知ることができます。日常の風景の中にも、このような歴史があったのですね。