園長便り2019-11

ラグビーのルールを知って

園長:平田泰三

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朝晩の気温がめっきり下がってきました。個人的にはのどが何となく調子が良くない毎日です。お互い気をつけましょう。

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さて、ラグビーワールドカップ戦が開幕しています。札幌も会場となっている関係で、先日教会には、各国(フィジー・オーストラリア・ニュージーランド)からお客様が訪ねてくださり、三育小学校では彼らがミニラグビー教室を開いてくれました。

彼らはラグビーというスポーツを通して聖書の福音を伝えているグループでした。ニュージーランドからのお客様の中に、元ナショナルチームのメンバーで、1990年代オールブラックスで活躍したティモ・タガロア選手がおられました。今は後世を育てるための活動に関わっておられますが、選手時代のお話や苦悩を語ってくれました。聖書を知る前は「勝てば天国」人々は自分を持ちあげ「負ければ地獄」人々は完全に自分をダメな奴として酷評する、ということが大きなプレッシャーになっていたが、神様の変わらない愛を知った時、自分らしくプレーできるようになったというお話しは印象的でした。

わたくしは彼のお話を聴くまで、ラグビーのルールを全く知りませんでした。「One for all All for one」(一人はみんなのためにみんなは一人のために)「ボールは必ず後ろの人に向かってパスをする」というルールはその精神に基づくものだそうです。また、「ノーサイドの精神」(試合は真剣勝負で行うが、いったん試合が終われば敵味方なく、仲間としてお互いを尊敬し、称えあうという考え)「武器は一切もたない」(屈強な体格はしているが紳士的なスポーツ)等、を知ることができ、単に危ないスポーツとしか理解していない自分に頭をかきました。ボールは「こころ(魂)」、ゴール(トライを決めるところ)は「神の国(天国)」を表し、ボールをしっかり握り落とさないようにすることは「『こころ』を奪われないように一所懸命走ることに通じている」(聖書:フィリピ信徒への手紙3章12~16)ということも個人的に話してくれました。「負けても何度でも立ち上がるこころを鍛える」決してラグビーだけではないですが、スポーツは「自分との闘い」が目的、中心であることを教えられました。