園長便り2018-18

知識と知恵

 園長:平田泰三

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三育で学ぶ子どもたちには、ぜひ「問題を解決する力」そのための「創造力」を発揮できる子が育つことを願っています。前号のお話の続きです。聖書に次のような言葉があります。

「主(神様)を畏れる(知る)ことは知恵の初めである」(旧約聖書 箴言1章7節)

さて、皆様は「知識」という言葉と「知恵」という言葉の違いを考えられたことはあるでしょうか。「知識」と「知恵」似ていますが違うものだとわたくしは考えています。その違いは何でしょうか。たとえると「知識」は「道具」、「知恵」は「道具の使い方」といえるのではないでしょうか。「知識」は大切です。しかし、どうもそれだけでは不十分なようです。それを「どのように使うか」という「知恵」がなければ、「知識」を上手く生かすことが出来ないのです。それでは、知恵はどのように身につくのでしょうか。

一つの提案ですが、お子さんをあまり「恵まれた環境」におかないこと「不自由さ」を体験させることをお勧めします。「必要は発明の母」という言葉もあります。園の自由遊びの時、子どもたちの「発想」「思いつき」には驚かされる時があります。固くなった大人の頭では追いつきません。「知恵」は言いかえると「考える力(創造力)です。その力は「不自由さの中で育つ」と言えないでしょうか。

現代社会はある意味、物質的に満たされた時代です。しかし、物の繁栄と比例して考える力も豊かになったかというと、どうも、そうではないようです。考える機会は失われて、かえって考える力が「貧しく」なってしまったのではないでしょうか。「考える力(知恵・創造力)」が発揮されるのは「ある主の不自由さ」の中で育つとすれば、子どもたちの知恵の育つ「環境」についてわたくしたちは、今、一度再考しなければならないのかもしれません。「知恵を育てる」のために物質的にすべてを整えてあげる必要はないのかもしれません。

次回も引き続きこどもたちの「知恵」が育つためにどうすればいいかを考えてみたいと思います。