園長便り

後悔しないために

園長:村沢秀和

人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに長年携わってきたオーストラリアの看護師が、死の間際になったとき、人は自分の人生を振り返ることが多くなり、そのとき患者たちが語る後悔には同じものがとても多いのだと言っていました。そのトップ5をあげると、まず一番多いのが「自分自身に忠実に生きれば良かった」というものなのだそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくようです。そして、ああしておけばよかったという気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、強く無念を感じるのだそうです。2番目は「あんなに一生懸命働かなくても良かった」というものです。これは男性に多い後悔だそうで、仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かったと感じるのだそうです。3番目は「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」というものです。世間でうまくやっていくために感情を殺してきた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまったという思いが最後に訪れるようです。さらに4番目は「友人関係を続けていれば良かった」というもので、人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せ、もっと友達との関係を大切にしておくべきだったという後悔を覚えるようです。そして5番目は、「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」というもので、「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多く、変化を無意識に恐れ、新しいことを選択することを避けてきた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いということでした。

これはオーストラリアのお話ですが、日本人でも当てはまるものがあるのではないでしょうか。人の命はあとどれくらい残されているか、それは誰にもわかりません。だからこそ、最後に後悔することのない今を生きたいものです。ところで、このオーストラリアの老人たちが最後に残した後悔の言葉の多くは、自分をもっと幸せにしてあげれば良かったというように、自分に対するものが多いことに気が付かされます。自分を犠牲にしてきたという思いが強いのかもしれません。でも、人生というのは、そういうものではないかとも思います。自分を犠牲にして、その分誰かが幸せになるなら、それはそれで良かったとは言えないでしょうか。特に、子育てはそうでしょう。子育て中は、自分を犠牲にすることばかりです。その犠牲は我が子に対する愛であり、その犠牲愛によって子どもは育っていきます。子育て中は大変なことも多いですが、長い人生の中でみれば、それはほんのわずかな時間です。そしてそれはとても貴重な時間だったと後で知るのです。