園長便り

良い子は危ない?

園長:村沢秀和

「良い子が危ない」という指摘があります。これは子どもたちが起こす事件において、よく周囲の人たちからは「おとなしくて、良い子だったのに」という声を多く聞くからかもしれません。しかし、そもそも良い子とは、どんな子なのでしょう。ここで問題になっているのは、おそらく真面目で、勉強もできて、親の言うことも聞く、いわゆる「親にとって良い子」なのではないでしょうか。
両親が社会的に立派で、子どもに「いつも良い子でいなさい」という態度で接していると、大人が想像する以上にストレスが子どもにかかってしまうものです。そうすると、精神的な行き場がなくなってしまい、その気持ちを発散できないまま成長すると、ある日突然切れてしまうことがあるのです。詩人の谷川俊太郎氏が、子どもの心を描いた詩があります。

「まんびきはしたことはないけど
わたしはひとのこころをぬすんだ
ぬすんだこともきづかずに

へやにかぎはかけないけど
わたしはこころにかぎをかける
かぎのありかもわからずに

うそはついていないけど
わたしはほほえんでだまってる
ほんとのきもちをだれにもいわずに
いいこだからわたしはわるいこ」

良い子だから私は悪い子という言葉に、胸が締め付けられます。もし、子どもが心の中で、自分のことをそのように考えているとするなら、本当に辛いことです。

では、そうならないためには、親としてどのように子どもと接したら良いのでしょうか。一つは、両親ともに立派過ぎないことです。たとえば、少しどこか抜けていたり、小さなことにこだわらなかったりといった感じです。そしておおらかに子どもに接してあげるのです。そうすると、子どももありのままの自分で、安心していることができます。親にも心のゆとりが必要ですね。

聖書の中に、「あなたは私の目に高価で尊い」(イザヤ43:4)という言葉があります。神様はありのままのあなたを愛しておられるという約束の言葉です。この言葉を読むとき、良い人を演じなくても良いのだ、ありのままで良いのだとほっとさせられます。心にも少しゆとりが生まれそうです。