園長便り

「心配すべきでない二つの日」

園長:村沢秀和

「心配すべきでない二つの日」という作者不明の文章がネット上にアップされていました。なるほど、その通りだと思ったので、ご紹介しましょう。

「私たちが心配すべきでない二つの日がある。その二日は怖れや不安から一切自由になるべきだ。

この二つのうちのひとつは、「昨日」。たとえあらゆる過ちと気掛かりがあっても、落ち度や失敗があっても、痛みや苦痛があっても。昨日はもう過ぎ去っていて、私たちが何かすることはできない。

全世界のお金を集めても、昨日を取り戻すことは出来ない。私たちが行った、たった一つの事でもやり直しできないし、私たちが言った、たった一つの言葉でも消すことは出来ない。昨日は永遠に過ぎ去ったのだ。

私たちが心配すべきでないもうひとつの日は、「明日」。あらゆる逆境や重荷や、大きな見通しや乏しい結果があったとしても、明日もまた、今すぐ何かすることはできないのだ。明日もまた日は昇る。素晴らしい輝きであっても、雲の後ろに隠れていても、日は昇るのだ。そうなるまで、私たちは明日に賭けることは出来ない。それは、まだ起こっていないのだから。

これで一日だけ残ったのは、「今日」。誰でも一日だけ、人生を闘うことができる。そして、「昨日」と「明日」こそが私たちを打ちのめすのだ。

人を狂わせるのは今日の経験ではない。昨日起きたことに対する自責の念や苦みと、明日もたらされるかもしれない不安だ。それだから、私たちは一度に「今日」という一日だけを生きようではないか。」

昨日と明日、つまり過去のことでくよくよしたり、未来のことで不安になったりしないで、今日という日を見つめて精一杯生きることが大切だということですね。実は聖書も同じことを教えています。

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」マタイ6:34

聖書は特に明日のことを思い煩うなと教えていますが、その秘訣は明日のことをすべて神様に委ねてしまうことです。