園長便り

一方的な愛

園長:村沢秀和

あるおじいさんが、朝一番の時間に病院にやってきました。おじいさんはお医者さんに、9時に約束があるから急いでいるのだと言い、時計を気にしています。治療を施しながらお医者さんは、「何をそんなに急いでいるのですか」と尋ねると、おじいさんは奥さんと一緒に朝食を食べる約束をしているのだと言うのでした。ただ奥さんは介護施設に入っているので、その介護施設で毎朝奥さんと一緒に朝食を食べるのがおじいさんの日課になっているということでした。

お医者さんは、奥さんの健康状態を尋ねました。すると奥さんはアルツハイマーにかかって、もう長い間そこの施設にいるということでした。お医者さんは、「そういうことなら治療を急がなければいけませんね。でも、もし遅くなったら奥さんが心配するのではないですか」と尋ねると、おじいさんは首を横にふりながら、「もう、家内は何もわからないんですよ。わたしのこともわからないんです。わからなくなってから、もう5年になるかなあ」と答えたのでした。お医者さんは驚いて、「奥さんは何もわからないのに、あなたは毎朝、通っているのですか」と言うと、おじいさんは微笑みながら、こう答えたのでした。

「彼女は私をわからないけれど、私にはまだ彼女が分かるのです」と。

真実の愛とは何でしょうか。愛というのは、普通、愛し愛される関係がそこにあってこそ麗しく尊いものです。もし、一方通行の愛だったらなんと悲しいことでしょうか。しかし、一方通行であっても、何の見返りがなかったとしても、それでもなお愛しつづけることができるなら、それこそ本当の愛なのかもしれません。

このおじいさんは、奥さんは自分のことがわからないかもしれないけど、自分は奥さんのことがわかる。それで毎朝奥さんのもとへ通う理由は十分ではないかと笑いながら言ったわけですが、確かにその通りなのです。なぜと問うほうがおかしいのです。

このような真実な愛は、親の子に対する愛の中にも輝いていると思います。見返りを期待して子を愛する親はいないでしょう。だから、親の子への愛は真実な愛であり、尊く、時には一方的な愛にもなります。でも、それで良いのです。そしてそれは自然なことなのです。このような真実な愛を豊かに受けて育つ子どもは幸せです。親から愛されて育つ子どもは、自然に優しい心が育まれていくことでしょう。