園長便り

夕べがあり、朝があった

園長:村沢秀和

 聖書を開いたとき、最初に出てくる言葉が何か皆さんご存知ですか。それは「初めに、神は天地を創造された」という言葉です。今からおよそ3500年も前に書かれた言葉です。聖書を初めて開いたとき、最初にこのような言葉が出てくるのを見て、驚く方も少なくありません。これは天と地の始まりを知らずして、地上におけるあらゆる出来事の真の意味を知ることはできないために、聖書は天地創造の物語から始まっていると言われています。

また聖書は最初の地球は「混沌とし、闇が深淵を覆い、激しい風が吹き荒れていた」と、不気味で恐ろしい光景が描かれています。しかし、そのような世界に対し神様は、光を造りだします。天地創造の最初の業です。

「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」創世記1:3~5

神様が「光あれ」と言われると、光が出現しました。この光の出現によって、闇と光が完全に分けられました。その光には、ぬくもりと平和、愛と喜び、そして希望が満ちていました。神様はその光を見て良しとされました。そして神様は光を昼、闇を夜と呼ばれました。夕べがあり、朝があって、この世界の第一日目が始まりました。

さて、このようなことが天地創造の第一日目の出来事として聖書に書かれてあるわけですが、これは単に闇の世界に光が創造されたということだけを語っているのではありません。実は、わたしたちの人生にとっても深い意味があるのです。というのは、わたしたちの人生においても同じことが起こるからです。つまり、闇に覆われてしまったような辛い試練や困難に襲われたとしても、神様に頼るなら、光が差し込んできて、闇は消え去ってしまうということを教えているのです。その光の中で、不安や恐れは消え、わたしたちの心は愛と平和と希望に満たされます。

三育幼稚園では「ひかり、ひかり」という讃美歌をよく歌います。神様の光に包まれて、光の子として、いつも明るく元気に生きられますようにという願いを込めた歌です。同様に、皆様お一人お一人のご家庭が、いつも暖かな光で包まれますようにお祈りしています。