園長便り

子どもが望んでいる

園長:村沢秀和

子どもになかなか恵まれない夫婦がいました。二人は神様に毎日赤ちゃんが授けられるようにと祈りました。祈り続けて10年が過ぎたある日のことです。ついに妊娠したのです。二人はどれほどうれしかったことでしょう。赤ちゃんはお腹の中ですくすく育っていき、そして、出産の日を迎えたのでした。
ところが、生まれて来たその赤ちゃんは奇形だったのです。先にその事実を知らされたのは夫でした。夫はわが子の姿を見て、言葉を失いました。そして、妻に何と言えば良いのかと悩みました。しかし隠し続けることはできません。赤ちゃんを妻のもとへ連れていき、正直に伝えたのです。妻は、赤ちゃんの姿を見て、一瞬言葉を詰まらせましたが、その後夫にこう言ったのです。

「どうして私たち夫婦になかなか赤ちゃんが生まれなかったのかわかったわ。神様がこの子をどの両親に育ててもらおうかと悩まれたのよ。そして、神様はわたしたちだったら安心してこの子を任せることができると選んでくださったのよ。だからあなた、この子を二人で大切に育てましょうね」と。
聖書の教えでは、子どもは親の所有物ではありません。その子どもを立派な大人へと育てるように神様から授かったのです。この母親が言ったように、親は神様からその子どもを大切に、愛情を込めて育てるようにと選ばれたのです。
そのためにも親と子どもが向きあう時間が大切です。特に母親と子どもとの時間は、子どもが一生持ち続ける「核」を作る時間です。母親が就労しようと家庭にとどまろうと、それは一人ひとりの事情でどちらであってもいいのですが、母親と子どもの時間は長ければ長いなりに、短ければ短いなりに、とても大切な時間として意識していくことが大切です。「子どもの健全な成長に母性は不可欠だが、母性は母親でなくてもいい。母に代わりうる母性が数人、子のまわりにいればいいのだ。」という意見もありますが、しかたがない事情がある以外は、やはり母に代われる存在はいないのだと考えるべきです。母親は子どもにとって絶対の存在なのです。ある小児科医の言葉をご紹介します。

「母が子を育てると言うよりも、子の方が母に育てられることを望んでいるのだ」

どんなに小さくても、子どもを一人の人格として向き合い、大切に育てていきたいものです。