園長便り

ありのままに

園長:村沢秀和

 ベトナム戦争から帰ってきた一人のアメリカ人兵士が、帰国するとすぐに両親に電話をかけました。「母さん、父さん、帰ってきたよ。悪いんだけど、連れていきたい友達がいるんだ。」「勿論、歓迎するよ」と両親は答えました。「先に、知っておいて欲しいことがあるんだ」と息子が続けました。「彼は戦場でひどく負傷してね。地雷を踏んでしまって、片手片足がないんだ。 彼はどこにも行けなくて、だから僕は彼と一緒に暮らしたいんだ。」「それはかわいそうに、私たちがどこかに住める場所を探してあげられると思うよ」「違うんだ、母さん、父さん、僕は彼と一緒に暮らしたいんだ」と息子は言うのでした。父親が言いました。「息子よ、何を頼んでいるのかわかっているのか?そんなハンディキャップを負った人と過ごすなんて、私たちにひどく重荷になるだろう。自分たちが暮らすのが精いっぱいだというのに。さっさと家に帰ってきて、その人のことは忘れてしまいなさい。彼は自分で暮らす方法を見つけるよ」。そこまで話したところで、息子は「わかった」と言って電話を切りました。両親はそれ以上息子と話すことはありませんでした。
数日後、彼らは警察から電話を受けました。息子がビルから飛び降りて死んでしまったと言うのです。警察は自殺であろうと言いました。「まさか、そんなはずがあるわけがない」。驚きのあまり、警察の言うことがにわかに信じられず、両親はすぐに息子のところに向かい、死体安置所に行きました。そこで彼らは変わり果てた息子の姿を見た瞬間愕然とし、その場に泣き崩れてしまったのでした。なんと彼らの息子は片手片足だったのです。つまり、一緒に連れて行きたい片手片足の友達とは、自分のことだったのです。しかし、そのことを知らなかった両親が、息子の語る片手片足の友達を拒んだとき、息子は自分が拒まれたと感じたのでした。戦争で片手片足になってしまった自分は、やはり、もう価値がない存在なのだと感じてしまったのです。
私たちは誰もこの両親を責めることはできないでしょう。しかし、この息子はどうして初めから、片手片足になってしまったのは自分のことだったのだと言わなかったのでしょう。受けいれてもらえないのではないかと不安だったのでしょうか。
どんなことがあっても親だけは自分を受け止め、愛してくれるという安心感を与えたいものです。そして、そのような子どもとの関係の土台を築くのは今なのです。