園長便り

愛が伝わるとき

園長:村沢秀和

 

ある教会で事件が起きました。お金が無くなったのです。お昼のうどん代が入っていた箱の中から、お金が無くなっていたのです。いろいろ調べてみると、T君が怪しいということになりました。お金の周りを行ったり来たりしている姿が目撃されていたからです。またT君はこれまでも、いろいろな物を盗んで、問題を起こしていました。牧師さんは、T君を呼んで「怒らないから正直に言ってごらん」と言いましたが、T君は「ぼく、知らない」と言いはります。

このT君はかわいそうな子どもでした。T君が生まれてまもなくお母さんはいなくなりました。酒やばくち、そして暴力をふるう夫から逃げるためでした。母親のいない乳飲み子と、どうにもならない父親。このような環境でT君は育っていきました。父親はT君を柱に紐でしばりつけ、ばくちを打ちに行きました。着の身着のまま、垂れ流し。少しのパンとミルクだけでいつ帰ってくるかもわからない父親を待っているのでした。

小学生になったころからT君はお金を盗むようになりました。学校の物も盗みました。しかし父親は知らん顔です。そんなT君は友達に誘われて教会に来るようになったのです。教会でも走り回ったり、本棚の本を散らかしたり、けんかをしたりとやりたいほうだいでした。そんなT君でしたが、不思議と教会が気に入っているようで、毎週やってくるのでした。その理由は、T君を担当する教会学校の若い女性S先生のことを気に入っていたからのようでした。優しいS先生に母親の暖かさを感じていたのかもしれません。

お金を盗んだことはT君に間違いないのですが、正直に言いません。そこで牧師先生は「正直に言わないのだったら罰を与えなければならない」と言いました。T君はぎょっとしましたが、「たたくならたたけ。ぼくはいつもおとうさんからたたかれているから怖くない」と言うのでした。それで牧師先生は「それなら正直に言わない罰として3回おもいっきりたたくからね」と大きな手でおしりを3回たたいたのでした。T君のおしりではなく、S先生のおしりを!それを見て、T君の目に涙が浮かびました。そして「やめて、ぼくが盗んだ。ごめんなさい」と告白したのでした。何も悪く無い、大好きなS先生がたたかれているのを見て、T君ははじめて素直な心になれたのです。S先生も少しびっくりしていたようでしたが、大泣きしているT君を優しく抱きしめてあげたのでした。

イエス様は私達の罪のためにムチ打たれて、十字架にはりつけにされました。その十字架のイエス様を見つめる時、わたしたちに対する神の愛が輝いていることに気が付くのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」ヨハネ第一の手紙4:10