園長便り

愛されるために生まれた

園長:村沢秀和

 一人の少女が、少年院を出ることになりました。彼女は、孤独でした。母親から愛されているという実感がありませんでした。彼女は寂しくて、強がって、悪いこともたくさんしてきました。しかし少年院を出たら、素直になって、「お母さん、ごめんなさい」と言って、母親の腕の中に飛び込んでいくんだと、そう決心していました。彼女は母親に甘えたかったのです。少年院の中で、彼女は何度も、母親の腕の中に飛び込んでいく自分の姿を想像しました。これまでのことを謝る言葉を何度も何度も練習しました。そして、ついにその日がきたのです。玄関先に母親は立っていました。彼女は心の中で練習し、思い描いてきたように、「お母さん、ごめんなさい」と言って、母親の胸の中に飛び込んでいきました。大粒の涙が止めどもなく溢れてきました。ところがです。娘に抱きつかれて母親は、抱き返すこともなく、両手をだらんと下ろしたまま、ぼっと突っ立っているのです。あとで、母親に「どうして抱きしめてあげなかったのか」と尋ねると、驚くべき答えが返ってきました。母親はこう言いました。「どうしていいかわからなかった」と。そして、こう付け加えたのです。「私も、母親からだきしめてもらったことがなかった」と。

皆さんは、自分は望まれないで生まれてきたのではないだろうかと、そんなことを考えたことはないでしょうか。親から本当に愛されて育てられた人は、まずそういうことはないと思いますが、しかしすべての人がそうではないのが現実です。

自分の子供を虐待したり、食べ物を与えないで餓死させたり、にわかには信じがたいような事件も起きています。あるいはそこまで極端ではなくとも、親のちょっとした態度や言葉が、子供の心を深く傷つけてしまうことなどもたくさんあります。親から愛されているという思いを持つことができなければ、人は自分の存在が本当に不安になります。いや、親からだけでなく、自分の存在が否定されるような場面は、世の中にはいくらでもあると思います。信頼をよせていたはずの人から裏切られることがあるかもしれません。利益だけが求められるような厳しい社会の中で、自分という存在に自信を持てなくなってしまうことだってあるかもしれません。それが現実の世の中だと思います。しかし、そのような世の中にあって、聖書の神様はこう語ります。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前から知っていた。」エレミヤ書1:5

神様はあなたがまだ生まれる前から、あなたのことをご存知だった。そして、あなたが生まれてくるのを心待ちにしていたということです。たとえ親が望んでいなかったとしても、神様はあなたが生まれてくるのを望んでおられた。そしてあなたは神様に愛されるために生まれてきたのだと聖書は教えているのです。

この神様の暖かな愛の中で人は安らぎを得、生き生きと生きていくことができます。園児たちが、この大きな神様の愛に包まれながら、いつも安心して、楽しく幼稚園での生活をおくることができるようにと願っています。