園長便り

友を助け起こすことができる人に

園長:村沢秀和

小さな男の子が道端に寝転んで泣いていました。どうやらつまずいて転んでしまったようです。そして母親が自分を助け起こしてくれるのを待っているようです。母親は、「自分で起きなさい」と言います。しかし男の子はただをこねたように地面で足をばたばたさせながら、なおいっそう激しく泣き叫ぶのでした。すると次の瞬間です。男の子のお姉ちゃんがびっくりするような行動を取るのです。弟のそばまで走りよってきたかと思うと、ばたん!とわざと転んだのです。そして弟に「一緒に起きよう」と声をかけたのです。するとどうでしょう。弟は素直に「うん」と言って、お姉ちゃんと一緒に起き上がったのです。一人では起き上がることができなかったのに、お姉ちゃんと一緒だと弟は起き上がることができたのです。

このお姉ちゃんのとった行動は、とても考えさせられます。「起きなさい」というのと、「一緒に起きよう」というのとでは、相手に与える影響がぜんぜん違うのです。

聖書は「泣くものと共に泣き、笑うものと共に笑いなさい」と教えます。共に泣き、共に笑ってくれる人がいるとき、立ち上がるエネルギーが与えられるのです。そしてそのような人になりなさいと聖書は教えるのです。

さらに聖書にはこう書かれてあります。

「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいがひとりでどうして暖まれようか」(コヘレト4:9~12)

ひとりよりもふたりが良い、なぜかというと、もしも倒れたとき、ひとりがその友を助け起こしてくれるからです。また、二人でいれば暖かいからです。人間は決して一人で生きるものではないということです。

このとき大切なことは、ではいったい誰がわたしの友だろうかと考えるのではなく、わたしが誰の友となっているだろうかと考えることです。どこかにあなたの支えを必要としている人がいて、また、どこかにあなたのぬくもりを必要としている人がいます。だから、その人の友となってあげなさいと聖書は語るのです。そして、誰かのそばにいてあげるとき、いつの間にか自分も暖かになっていることに気づくことでしょう。