園長便り

 ゆっくり深く

園長:村沢秀和

フランスの哲学者ジャン・ギットは「教育というのは、ある一点から一点への最長距離を教えるものである」と言っています。この言葉はとても示唆に富んでいます。ともすると、わたしたちは何か疑問があっても、解決の道を最短距離に求め、それが最善であるかのように思います。しかし最短距離ばかりを目指すと、現実をゆっくり深く見つめることが少なくなり、未来を見通す洞察力にもかけてゆきます。

ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進先生が学生時代の興味深いエピソードを語っています。高校時代同じクラスに恐ろしく頭の切れる秀才がいたそうです。彼は毎年4月の授業が始まる前に教科書を全部覚えてしまうのだそうです。そして本番の授業では余裕しゃくしゃくで、時々教師の間違いを指摘しては教師を慌てさせていたようです。その潜在能力は末恐ろしいくらいで、利根川先生は「こいつは将来どんな人間になるのだろう」といつも下を巻いていたそうです。

ところが、何十年かたって同窓会で会ってみると、その秀才は学者になっていたのですが、利根川先生いわく「他人がやった

研究をなぞるだけの平凡な学者になっていた」そうです。利根川先生は「結局、自分の頭で考えようとしない暗記型秀才の限界なのかもしれない」と語っていました。

またある会社の社長さんが次のような話をしていました。会社はいつも良い人材を求め、良い大学を卒業した優秀な人材を採用しようとします。望み通りの人材が入社してくると将来の幹部候補として期待を抱くのですが、多くは途中で辞めて独立したり、他の会社に転職したりします。すると残るのは優秀ではない人たちになります。その社長さんの言葉を借りれば「あとに残るのはどんくさい者ばかり」です。まじめだが頭は鈍く融通もきかない。しかし、彼らは純であるがゆえに、自分に与えられた仕事をあきずにコツコツと粘り強く続けていきます。そういう人たちが十年、二十年とたつといつのまにか会社になくてはならない人物に育っていくのです。このような人たちを何人も見ていくうちに、この社長さんは考え方が大きく変わってしまったと言います。そして「本当に育てなければいけないのは牛のように純な人材です。彼らはとにかくがまん強い。それだけですごい存在感ですよ」と語っていました。

ゆっくりとでも良いから、深く我慢強く物事を見つめることができる教育こそが、今求められているように思います。