園長便り

愛の循環

園長:村沢秀和

一人の男性が最終電車間際になって駅に駆け込みました。電車はすぐに発車してしまう時間であったため、駅員に車内で乗車券を買うようにと言われ、男性はなんとか最終電車に飛び乗ることができました。

ところが車掌が回って来たので財布を出そうとすると、なんと財布がないのです。「すいません、明日必ず営業所まで行って支払いますので、今日は乗せて下さい」と言いました。ところがこの車掌は許してくれず、無情にも「次の駅で降りて下さい」と言うのでした。

次の駅で降りたとしても、家に帰る手段などありません。駅のホームで寝るわけにもいきません。どうしようもなくなって途方にくれていると、横に座っていた同じ年格好の男性が回数券をくれたのです。天からお助けとはこのことで、男性はほっと胸をなでおろしました。そして、その回数券をくれた男性にお礼をしたいからと言って、名前や住所を尋ねましたけれど、ニコニコと手を振って気にしないで下さいと言うばかりです。そして、笑いながらこう付け加えたのでした。

「実は私も以前あなたと同じ目にあったことがあるんですよ。そのとき、そばにいた女子高生がお金を出してくれたんです。高校生にお金を出してもらうなんて申し訳なくて、私はその子の名前を何とか聞き出そうとしましたけれど、教えてくれませんでした。そして、こう言ったんです。『おじさん、それは私のお小遣いだから返してくれなくていいです。それより、おじさんがお礼だといって私に返したら、私とおじさんだけの親切のやりとりになってしまいます。もし、私に返す気持ちがあったら、同じように困った人を見かけたら、その人を助けてあげて下さい。そして、またその人にも、困った人を助けるように教えてあげて下さい。そうしたら、私の親切がずっと輪になってどこまでも広がっていきます。そうするのが私は一番嬉しいのです。そうするようにって私、父や母にいつも言われているんです』と。

 

ある人はこう言いました。「愛は与えるだけでも、与えられるだけでも窒息する。愛の循環が生命の営みなのである」と。愛、それは本来循環する性質を持ったものです。愛を与えられた人は、今度は愛を与えたくなるのです。そしてその愛の循環の中に身を置くとき、人は幸せを感じるのです。そして聖書はこの愛の循環は、そもそも神様から始まったと教えます。つまり神様がまずわたしたちを愛されたことによって、世界に愛の循環が始まったのだと言うのです。神様に愛されていることを知った人の心の中には自然と優しい愛の心が湧き上がります。

今年もクリスマスのシーズンがやってきましたが、この神様の愛が一人一人の上に注がれて、ご家族の間に優しい愛が循環することをお祈りしています。