園長便り

触れたものに似る

園長:村沢秀和

「強盗事件の容疑者として指名手配され11年間逃亡していた男が、四川大地震の被災地救援のためのボランティア活動をした後、警察に出頭した」という興味深い記事を読みました。その記事によりますと、多くの人が力を合わせて協力する様子に接し、自分の行いに対する後悔に耐えられなくなったと書かれてありました。

30代の四川省出身のこの男は、1997年にトラックを襲い、運転手から現金約800元を奪って逃げました。その後、警察の捜査を逃れるために上海に移り、そこで臨時労働者として働きながら約11年間の逃亡生活を続けました。生活は苦しく、望郷の思いも強かったと言います。

そんな最中、地元の村を大地震が襲ったのです。彼はいてもたってもいられなくなり、四川省まで戻って名前を偽り被災者救援のボランティア活動への参加を申し込んだのです。男は震災で作業がストップした農作業を手伝いました。

男は軍民が一致協力して大震災に立ち向かう姿に接して、自分の行いへの後悔の念が増していきました。そしてついに自ら警察に出頭することを決意するのです。

一緒にボランティア活動を行っていた仲間たちは過去の行いを知った後も男に好意的で、1日も早く更生して改めて社会に貢献してほしいと語っていました。

ボランティアという人を助けるための働きをしているうちに、また同じ志を持って奉仕している人々を見ているうちに、罪責感がつのり耐えられなくなったというのは興味深いことです。もともと根は悪い人間ではなかったのだと思いますが、人は触れたものに似ると言います。

例えば、優しさに触れていると自分の心も優しくなったり、清い世界に触れていると自分の心も清くなったり、あるいは逆に悪いものに触れていると、自分の心もだんだん悪にそまっていくものです。

だとするならば、わたしたちはいつも何に触れているかというのはとても重要なことになってきます。子どもたちがいつも触れるのは誰でしょう。親であり、教師であり、友達であり・・・。しかし三育幼稚園が最も触れてほしいと願っているのは愛の神様なんです。神様に触れていくうちに、人の心の中にはだんだんと優しい愛が生まれてくるからです。