園長便り2023-05

 「主体性を育むとは」

園長:中村貫太郎

 

前回の園便りでは子どもの主体的な活動は「自分の欲求のままに行動することではない」とお伝えしました。主体について広辞苑では「元来は根底に在るもの、基体の意」と解説され「主観と同意味」と紹介されています。その主観は「感覚・認識・行為の担い手として意識を持つ自我をいう」と記されています。

 

自我は「エゴ」とも表記されています。私たちの日常の中では「エゴイスト」という言葉を耳にすることが多いのではないでしょうか。「利己主義者」と訳され、自己中心で自分勝手な人というイメージで使われることが多くなっています。日本語ではあまり良くない印象を与える言葉になっていますが、本来「エゴ」は精神分析学者のフロイトが創った心理学用語で、「イドから発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをするパーソナリティーまたは人格の側面」のことを指す言葉です。

フロイトが考えた人間の意識には3つの層があります。

①イド(エス):欲望や原始的な衝動の元となる、快を求め不快を避ける快楽原則に支配される部分。

②エ    ゴ:イドとスーパーエゴの間で意志決定を行う部分。

③スーパーエゴ:あるべき行動基準、しつけやルールなど社会規範を守ろうとする部分。道徳的な良心。

 

子ども主体の保育については、子どもがやりたい事をやりたいように満足するまでやらせるというイメージで誤解されがちですが、フロイトの考えを参考にするのであれば、それはイドの部分を野放しにしているだけの保育です。

ルールに従うなど、あるべき行動基準を守るスーパーエゴがあって初めてエゴは意志決定をすることができるように、子どもに行動基準(三育では聖書の教え)を教え、しつけ、従う訓練をすることは必要不可欠なことです。

日々の活動の中で、親や教師から教えられた基準と自分の欲求と向き合い、考えて選択する経験を積んでいくことが、主体性を育むということにつながっていくのではないでしょうか。