園長便り2020-19

塩狩峠(2月28日の出来事に学ぶ)

園長:中村貫太郎

塩狩峠は旭川市から北上した和寒町にある峠で、JR宗谷本線の鉄道が国道40号線と並行する形で伸びています。今から112年前に、ここで思いがけない事故が起こりました。

明治42年2月28日午後6時半頃、名寄発旭川行き列車が塩狩峠の急勾配をあえぎながら上っていた。突然、最後尾の客車の連結器がはずれて、1両だけが離れて後ろへ下がりだした。乗客は動揺し、大騒ぎになった。

偶然、この客車に北海道鉄道部旭川駅運輸事務所庶務課主任の長野雅雄が乗っていた。長野はキリスト教信者で、休日を利用して名寄に赴き、布教をして帰る途中だった。長野は急いでデッキに飛び出し、非常用のハンドブレーキを力一杯回した。だが車両は停まらない。目前にカーブが迫ってきた。脱線は免れない状況になった。その瞬間、長野の体が宙に浮いてそのまま鉄路上に落下した。車両は鈍い音を立てて停まった。乗客らは狂喜したが、デッキに出てみると、鉄路を染めて長野が横たわっていた。大腿部以下両足轢断で即死だった。

長野の上着の内側に縫い付けられたはがきが見つかった。いつ神に召されてもいいようにと、毎年元旦に書いていた遺書だった。そこには次のように書かれていた。

「余は感謝してすべてを神に捧ぐ 諸兄姉よ余をして一層感謝すべく祈り給はんことを 苦楽生死均しく感謝なり」  

合田一道 著「北海道地名をめぐる旅」より一部引用

 この遺書は人生を呪い、自殺するために残したものではありませんでした。神様の愛を伝えるために、いつ命を落としてもいいようにと準備されたものでした。自分の死を見つめて生きる人と、そうではない人ではその生き方に大きな違いがあるように思います。いかに死ぬかということは、いかに生きるかということでもあります。長野さんが示した生き方に、ならいたいものですね。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

ヨハネによる福音書15章13節(聖書)