園長便り2018-14

 「選べた」選択「選べなかった」選択

園長:平田泰三

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暦の上では「立冬」となりました。今年は札幌市内に雪が降るのが遅れていますが、早くしないとと思いながらタイヤ交換がまだできていないわたくしは助かっています。季節柄どうぞご自愛ください。

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前回まで、人の幸せ感は「選択」にあるということをお伝えしてきました。その中には、「祈る」という「選択肢」があることを、実業家の一例を通してご紹介してきました。今回も引き続き、「選択」の大切さ、「選択」には「選べた」選択と「選べなかった」選択があることを考えてみたいと思います。まず「選べない」選択として、親子関係があります。「親」は子を選べない「子」も親を選べません。それ以前に性別も選ぶことができません。そう考えると、「人生の一番はじめの出来事」は「選べなかった」ということになります。そのことについて考えてみると不思議だと思われませんか。

聖書に次のような言葉があります。

「あなたがわたし(創造主なる神)を選んだのではなく、わたしがあなたを選んだ」

(ヨハネ福音書15章16節)

この真意は全ての人は神様から「選ばれて」生まれてきているということ。そして「選ばれたこと」には「意味と目的」が必ずあるということを示しています。その選ばれている「意味」を問うのが人生ではないかと思います。答えがなかなか出るものではありませんが、個人的には「答えの出ない問い」を考え続けるのではなく、「何か意味がある」と信じて、今の自分をどう活かせばいいか、「愛されている」ということを信じて、「何を選んだらよいか」に力を注ぐことが有益ではないかと思います。厳しいことですが「状況」「環境」は必ずしも人の味方をするとは限りません。しかし、それがもし「自分で選べなかった」状況、環境だとしたら、それは、その状況を与えられた「創造主なる神様」に全てを委ねて「愛を知る機会」と考えて取り組んでみるという選択肢もあるのではないでしょうか。