園長だより2016-08

「愛」=「塩」

園長:平田泰三

2学期が始まりました。しばらく見ていないと、お子さんたちの成長には本当に驚かされます。体がひとまわり大きく成長し、上履きが「きつくてはいらないよぅ~」といっているお子さんもいて、この時期どうしても、靴や服の買い換えが頻繁となりますね。いろいろとお疲れ様です。新しい学期も、保護者の皆様と共にお子さん方の健やかな成長、安全を見守ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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三育幼稚園では聖書の教えを大切にし、活動します。できるだけ、聖書のお話を身近に理解していただきたく、今学期も引き続きこちらの通信を書いていくことができればと思います。一つのものの考え方として、「このような立場もあるんだな」という範囲で読んで頂けるなら幸いです。

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今回は「愛」=「塩」というお話です。聖書の中心テーマは「神様の愛」なのですが、「愛」といっても少し抽象的で、どのように考えたらいいか戸惑いが多いというのが現実ではないでしょうか。聖書には、「愛」がいろいろなものに喩えられており、その一つに「愛」は「塩」と示されています。(マタイ福音書5章13節他)

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「愛」というとなにか甘い「砂糖」を連想する方もいらっしゃるかもしれませんが、聖書の伝えるところでは「愛」=「塩」なのです。どうして、愛が「塩」に喩えられるのか、その第一として身近な食生活の中で、塩は「欠かすことのできない調味料」であること、それが転じて「愛は欠かすことのできないもの」の象徴となっています。また、「塩」が安く手に入る現代の日本では、なかなかピンと来ないのですが、聖書は2000年前、ユダヤ地方を舞台としたお話です。当時「塩」は、岩塩から精製され、「たいへん貴重で高価」なものだったのです。人が生きる上で、「神様からの愛」が「欠かすことのできない」「非常に貴重で高価」なものであることが教えられています。また、同時に「愛」で大切なことは「バランス」であることもそこに示されています。「愛情」が「塩加減」に喩えられ“多すぎず” “少なすぎず”バランスが大切ですよ、ということなのです。

「愛=塩」ということについて、数回の記事に分けてお伝えできればと思っています。